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フランツ・ヨシアス (ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公) : ミニ英和和英辞書
フランツ・ヨシアス (ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公)[こう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

フランツ・ヨシアス (ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公) : ウィキペディア日本語版
フランツ・ヨシアス (ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公)[こう]

フランツ・ヨシアスFranz Josias von Sachsen-Coburg-Saalfeld, 1697年9月25日 ザールフェルト - 1764年9月16日 バート・ローダッハ)は、ドイツテューリンゲン地方の諸侯の1人。ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公爵(在位1729年 - 1764年)。
ザクセン=ザールフェルト公ヨハン・エルンストと、その2番目の妻でヴァルデック=ヴィルドゥンゲン伯ヨシアスの娘であるシャルロッテ・ヨハンナ(1644年 - 1699年)の間の息子として生まれた。1718年に神聖ローマ皇帝の軍隊に仕官し、1719年には四カ国同盟戦争に従軍し、フランカヴィッラの戦いパレルモメッシーナの包囲に参加している。しかし1720年には父親の命令によりコーブルクの宮廷に戻された。
1729年の父の死後、その遺言により、異母兄のクリスティアン・エルンストと一緒に公爵領を相続した。クリスティアン・エルンストが家族の反対を無視して貴賤結婚をしたため、1724年には父ヨハン・エルンストが息子2人の共同統治を決めていたのだった。クリスティアン・エルンストはザールフェルトに、フランツ・ヨシアスはコーブルクにそれぞれ宮廷を置いた。
エルネスティン家内の相続争いに関して、フランツ・ヨシアスはザクセン=マイニンゲン公爵家のコーブルクに対する相続請求を1735年に最終的に斥け、ザクセン=コーブルク公爵領に対する支配権を正当なものとした。これ以後、ザクセン=ザールフェルト公爵家は「ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公爵家」と名乗る様になった。1745年に異母兄クリスティアン・エルンストが死ぬと、フランツ・ヨシアスはコーブルクとザールフェルトの両宮廷の主人となった。1733年にはコーブルクとザールフェルトの2つの公爵領に長子相続制を導入し、これは1747年に神聖ローマ皇帝の認可するところとなった。
1750年から1755年まで、ザクセン=ヴァイマル公爵家の未成年の当主エルンスト・アウグスト2世の摂政を務めた。公爵は堂々たる体躯をした為政者だったが、フェーダーバールバドミントンに似た球戯)の最中の事故で左目の視力を失っている。
1764年にローダッハの城で死去し、コーブルクのザンクト・モーリッツ教会に葬られた。
== 子女 ==
1723年にシュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯ルートヴィヒ・フリードリヒ1世の娘で従姪にあたるアンナ・ゾフィア(1700年 - 1780年)と結婚し、間に6人の子供をもうけた。
*エルンスト・フリードリヒ(1724年 - 1800年) - ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公
*ヨハン・ヴィルヘルム(1726年 - 1745年)
*クリスティアン・フランツ(1730年 - 1797年)
*シャルロッテ・ゾフィー(1731年 - 1810年) - 1755年、メクレンブルク公世子ルートヴィヒと結婚
*フリーデリケ・カロリーネ(1735年 - 1791年) - 1754年、ブランデンブルク=アンスバッハ=バイロイト辺境伯カール・アレクサンダーと結婚
*フリードリヒ・ヨシアス(1737年 - 1815年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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